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大阪府社会保険労務士会 北東支部所属
  1. マイ・ストーリー

マイ・ストーリー



「今日まで何度も厄介なことに

 見舞われてきたけれど

 今もこうして暮らしてる これからも生きていけるさ」

浜田省吾の歌の中に、こんな歌詞がある。

この歌詞を体現するが如く、
職務を生き抜く社会保険労務士がいる。

「求人から相談できる社労士」野間信行である。

(文:広報ジャーナリスト 福満”グリズリー”ヒロユキ氏)

2000年10月20日、東京。


「それ」は突然私に襲いかかってきた。

とある中堅生命保険会社 東京本社。
保険金課の課長代理である私、野間信行。

家庭も仕事も順調。
長女・長男に恵まれ、幸福な毎日を過ごしていた。
今後のキャリアのため、家族のため、
時間を捻出して「社会保険労務士」の勉強を始めて3年目のことであった。

午後。課長席の電話が一斉に鳴り始めた。
どうやら、お客さまからの電話らしい。

課長が、手でバツマークを出していた。

戦後最大の経営破たん。
2000年10月20日。


「えっ・・・」
私は困惑の中に一人取り残された。

いや、実際は取り残されるどころではなかった。
その日から破たん、再建処理のために休日を全て返上した。

奇しくもその年の11月のことだった。
3年目の挑戦で、社会保険労務士試験に合格したのは。

2001年、37歳。
後に、総務課長として再就職。
労務・広報のスペシャリストとして、
そして社会保険労務士として、
人事・労務のキャリアがスタートした瞬間でもあった。

・・・とは書いてみたものの、
現実は決して甘いものではなかった。
会社は早速早期退職者募集を開始した。
部長からの慰留がありつつも、
新天地に向かって一歩を踏み出すことを決意。


大阪に。


3月末日で退職し、地元大阪へ。

総務課長として新たなフィールドで
人事・総務のキャリアをスタートさせることになる。

ある時、社長と社長の弟である取締役が、
労務問題の対応をめぐって対立した。
本社の方針が全く気に入らない取締役にとって、
総務課は一番の矢面だったのである。

「ええか!オマエは、ワシの言うこと聞いとりゃいいんじゃい!」

最近まで頭の中で繰り返される怒鳴り声と共に
思い出す理不尽な会社員生活だった。

しかしながら、残念なことに政権が交代する。
そう、その社長の弟が会社のトップに就任するのである。

同時期、私も勤務先を変更することを決意。


再び東京へ。そして、10月20日。


キャリアコンサルタントの資格を取得し、人材紹介会社に転職。
半年間の東京単身赴任での業務開始だ。
立ち上がってまだ3ヶ月に満たないこの「紹介部門」。
まさに「生まれたて」である。

「全力を尽くした。」

キャリアコンサルタントとして、転職希望者のマッチングを
行うことが主たる業務である。

「役に立ってみせる。」

今までの自分の人生経験が、人々のために貢献できる瞬間だ。
一心不乱に仕事に取り組んだ。

希望登録者への“スカウトメール”の返信率をたったひと月で2倍にしてみせた。
どんどん軌道に乗ってゆく事業。充実感と共に過ごす毎日。

しかしここで、またしても予期せぬ事態が起こる。

またしても、10月20日のことであった。

社内上層部のクーデターが勃発したのだ。
会社は大手人材紹介会社に売却が確定する。
結果として、心血を注いで育て上げてきた紹介部門は閉鎖となり、
リストラの道を辿ることになった。


再び、大阪。


何もやる気が起きず、ときおり放心するような状態があるような毎日を送る。

人は必死になれるものを失うことほど辛いことはないものなのだ。

これで、何度目の転職だろう。辛うじて、大阪で人事職に就いた。

家族とも、少しづつ溝が開いていることも感じていた。

しかし、それでもその日は唐突にやってきた。

12月。
妻と長女の進学問題で大きく意見が対立し、大喧嘩になったのだ。
決定的になった溝は、そう簡単には埋まらない。
別居生活が始まった。

喪失感と、絶望感。
不眠症の毎日は、「いのちの電話」に電話することで夜を迎えた。

そんな時、思わぬ事故も遭った。
原動機付き自転車で転倒。
車道に投げ出され、かろうじて命拾いをしたが、骨折、打撲・・・。
ふと口からでた言葉は、血の混じった味がした。
「オレ、このまま、こんな人生で終わる。」


よからぬ考えを取り払うようにフラフラと頭を振り、無理矢理にも自分に言い聞かせた。

「人は、例え自暴自棄になったとしても、生きてゆかなくてはならない。
与えてもらった命なのだから。」


2011年4月23日。そして、現在(いま)。


事故の翌々日。大学生の頃から好きだった浜田省吾のLIVEに行った。



エンディングの「日はまた昇る」。
歌詞に、涙が止めどなく流れたことを
今でも鮮明に記憶している。

「今日まで何度も厄介なことに
見舞われてきたけれど
 今もこうして暮らしてる これからも生きていけるさ」

この歌詞に与えられたものは、勇気では無い。
「私にとっての現実だ」。

現実として、今、何ができるか?

LIVEの帰りに自分自身に問いかける。

「自分は、何ができる?」

何度も何度も問いかける。

「与えてもらった人生、何に役立てることができる?」

ふと、頭を過ぎった。
「社会保険労務士として、開業してみてはどうだろう?」

最初は手探りだ。どこまで理解が得られるだろう。
しかし、今の、かつての自分と同じ境遇の人々のために人生を使うことは、
果たしておこがましいことだろうか?

いや、違う。

今までも、これからも、困難に直面することは数多くあるだろう。
しかし、人は誰だって、立ち上がって生きていかなくてはならない。
「生かされているのだ」。

だから、私は、人生をかけて「野間信行をやりぬくのだ」。

「今日まで何度も厄介なことに
 見舞われてきたけれど
 今もこうして暮らしてる これからも生きていけるさ」


追伸。


その後、かつての転職希望者のマッチングの実績と、
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その傍ら、
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※広報ジャーナリスト 福満”グリズリー”ヒロユキ氏
 株式会社TENPACHI
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